エレンが部活を終えてアパートに辿り着き、部屋の鍵を開けようとバッグを探っていると、廊下の端から声が聞こえてきた。
薄暗い明かりの向こう側に目をこらす。と、肩を組んだ2人組がこちらに歩いてくるのが見えた。

――ほんっとリヴァイ、酒弱くなったよねえ
――うるせえ、てめえががばがば飲ませるからだろ、このザルめ……
――前はリヴァイだってザルだったくせにぃ

聞き覚えのある名前とその声に、なんとなくバッグを探る手を止めて、彼らが近づいてくるのを待つ。
リヴァイと、エレンが知らない女性の人だ。明るい声の女性とは対照的に、リヴァイの声はひどく苦しそうで、 駅前で良く見る酔っ払いのように、隣に立つ女性に支えられてようやく歩いているといった様子だった。
何となく、意外だなと思う。あまり酒に飲まれるタイプではなさそうに見えた。

顔が判別できる距離までくると、彼らもエレンに気付いたようで、廊下の真ん中で立ち止まる。
エレンが軽い会釈をすると、リヴァイを支えている女性は、にこり、と微笑んだ。

「……こんばんは」
「こんばんは。リヴァイのお隣さん?」
「はい、そうです。ええっと、」

名乗った方がいいのかエレンが迷っていると、その女性は眼鏡の奥からエレンをまじまじと見つめてきた。
困惑して軽く身じろぐ。最近同じようなことがあった気がするな、と記憶を探ると、引越しの挨拶に行ったときのリヴァイと同じ反応だ、と思い至る。

「えと、あの?」
「あ、ごめんごめん。私はハンジです。ハンジ・ゾエ。リヴァイの同僚」

そう言ってリヴァイを支えていない方の手を差し出すので、エレンもそれに応える。
女性にしては強い握手だった。何かを込めるように、ぎゅっと握って、離れる。

「……エレン・イェーガーです」
「エレン君ね。どうぞよろしく。ちなみにリヴァイとは本当にただの同僚だから、安心して」
「あ、そうなんですね」
「うん、全然彼女とかじゃないから。ただの腐れ縁。まあ付き合いは長いからこうやってよく飲みに行くんだ」

リヴァイとは正反対に、明るくよく喋る人だ。
リヴァイはそれまでずっとハンジに支えられたまま顔を伏せて黙っていたが、うめくように「余計なことは喋らんで良い」と口を開いた。
はいはい、とハンジがこたえる。そのやり取りに気安さが感じられて、本当に仲良いんだな、と、エレンは思う。
笑いながらハンジが言う。

「リヴァイもこう見えて寂しがり屋だからさ。仲良くしてやってよ」
「ハンジ、てめぇ……」
「そうだ、せっかくだからエレン君に介抱してもらったら?」
「……迷惑だろ。余計なこと言ってんじゃねえ」

きっとそんなことないよ、と言いながら、ハンジはリヴァイを支えながら再び歩き出す。
彼の部屋のドアの前に来て、リヴァイを壁によりかからせると、リヴァイが持っていた鞄を手にとる。 「リヴァイ、鍵どこ?」「……鞄の外ポケットだ」そんな会話をしてハンジがリヴァイの部屋の鍵を開ける。
そして隣に立っているエレンを見て、彼女はまたにこりと微笑んだ。

「じゃ、エレン君あとはよろしくね」

そうあっさりと言って、ハンジは鍵をエレンに押し付けると、じゃーねリヴァイ、お大事に、と言って足早に薄暗い廊下を引き返して行った。
廊下には、結局まだ自分の部屋の鍵も開けていないエレンと、部屋の鍵は開けたものの壁に寄りかかったままのリヴァイだけが残った。
さっきまでハンジの声で賑やかだった分、夜の静寂を余計に感じる。

「えーと……だいじょぶですか?リヴァイさん」
「……大丈夫だ、さっきの奴の言うことは気にしなくていい、引き止めて悪かったな」

そう言ってリヴァイは壁から背中を起こし、玄関のドアノブに手をかけようとした。
が、その瞬間がくりと身体を崩し、その場に座り込む。慌ててエレンは彼の側に駆け寄った。

「いやいや、全然大丈夫そうじゃないですよ、リヴァイさん」
「いや、大丈夫だ、」
「無理しなくていいですから……ほら、立てますか?」

取りあえず預かった鍵をポケットに入れて、リヴァイが立ち上がるのを腕と背中に手を添えて支える。
「大丈夫だ」と彼はエレンの手を振り払おうとしたが、その動きも緩慢で、ますます説得力がない。
寄り添って初めて分かったが、彼は意外に小柄だった。普段目つきに威圧感があるからか、そんな印象はなかったけれど。

「こっちが大丈夫じゃないです」

エレンが言うと、リヴァイは一瞬押し黙り、観念したようにため息を吐いて、一言「すまん」と呟いた。気にしないでください、とエレンは答える。
口には出さなかったが、隣人の新たな一面を見る事ができて、何となく嬉しいのも事実だった。
お部屋までお邪魔しますね、と一言断り彼が頷くのを確認してから、エレンは玄関のドアを開ける。
電気のスイッチを手探りで探してぱちりと点ける。

(うわ、めっちゃきれい)

玄関はサンダルひとつ出ておらず、傘立てには傘が1本だけきちんと閉じて立っている。
玄関から続く廊下には、エレンの部屋と同じように洗面台とキッチンがあったが、余計なものは何一つ出ておらず、まるで入居直後のようだった。
靴を脱ぎ、リヴァイも靴を脱ぐのを確認して、なんとなく緊張しながら廊下を歩く。リヴァイは気まずいのか諦めたのか、無言でエレンに支えられているままだ。
リビングのドアを開けて電気を点けると、きちんと整えられたベッドがまず目に入った。これもホテルのメイキング直後のようだ。

「リヴァイさん着きましたよ、大丈夫ですか?」

支えていた腕を離し、リヴァイをベッドに座らせる。彼は「ああ、」とうめくように言って頭を抱えた。

「大丈夫ですか?吐きます?」
「……いや、大丈夫だ、すまん」
「何か飲みますか」
「……水」
「わかりました」
「……冷蔵庫にペットボトルがある」

廊下に出て言われた通りに冷蔵庫を開ける。中身は水のペットボトルと酒のみだった。その有様に、本当にここで暮らしてるのか、と思ってしまう。
ベッドに戻って、頭を抱えるリヴァイにペットボトルの蓋を開けて差し出すと、リヴァイは「すまん」と一言言って、ゆるくそれを掴んで一口飲んだ。
またもう一口。部屋の中にはリヴァイの喉音だけが響いて、何となくエレンは身じろぎしてしまう。

とっさに視線を逸らして部屋を見渡す。物は少なく、家具といえば、やや大きめの机と椅子、机の端に置いてある小さなテレビくらいだった。
フローリングを見ても埃はなく、掃除がきちんとされているのが分かる。
本当に奇麗好きなんだな、と心の中で感嘆する。付き合う女の子は大変だろうな、とそんなことを思う。

リヴァイに目を戻すと、彼は水を飲むのをやめてまた頭を抱えていた。エレンは慌ててペットボトルを受け取る。

「もうお休みになってください。鍵はかけておきますから」
「……本当、迷惑かけたな、申し訳ない」
「いいえ。俺も先日お世話になりましたから。ほら、横になりましょう。あ、ジャケットだけは脱いだ方がいいですね」

そうだな、と言ってリヴァイがのろのろとジャケットのボタンを外す。見かねたエレンが脱ぐのを手伝って、ジャケットを椅子にかける。
布団をめくり、さあ、とエレンがリヴァイの肩に両手をかけると、彼は素直にベッドに横たわった。
上から布団をそっとかける。すうと目を閉じる。
おやすみなさい、とエレンが声をかけると目を閉じたままかすかに頷いた。いつもは目つきが悪く不機嫌そうに見えるその顔も、 目を閉じていれば案外幼い。けれど目元の隈が日頃の疲れを物語っていて、エレンは無意識にあやすように布団をたたいた。

やがて静かな寝息が聞こえ始めても、エレンはじっとしばらくその寝顔を見つめたままでいた。



あなたまでループ〜はじまり04