「すみませーん、相席良いですか?」

その声に顔を上げると、腐れ縁の同僚が財布片手ににやにやしながら立っていた。
ビジネス街の食堂だ。今は昼の12時過ぎ。店内に目をやると満席らしく、リヴァイが今座っている二人席の片方は、残念ながら空いている。
返事をしないでいるとそれを肯定と受け取ったらしく、「いやーやっぱりこの時間はどこも混んでるねー」と言いながら、同僚は正面の席にどっかりと腰を下ろした。

「最近どう?」
「相変わらずだ。クソみてえに忙しい」
「まーそうだよねえ。特にリヴァイのいるところはねー」

水を持ってきた店員に、どうもー、と愛想良く返事をして、彼女は日替わりランチを注文する。

「お前んとこはどうなんだ、ハンジ」
「うちはねー、なかなか難しいな、先が見えたと思ったらすぐ詰まる感じ」
「そうか」
「それでも私は楽しいから良いけど。でも幸先の良い話がないね、最近」
「……そんなもんだろ」

先にリヴァイのランチが運ばれてくる。今日の日替わりは唐揚げ定食だ。ここの店は、安い割に具が大きくて気に入っている。
お先にどうぞ、とハンジに言われて、リヴァイはきちんと手を合わせてから箸を手に取る。
その様子を見ながら、ハンジが水の入ったグラスを口につけて傾けた、瞬間、

「ごほっ」

ハンジが盛大にむせて、水を吐き出した。

「……おい」
「……ごめん、リヴァイ。拭くもの持ってない?」

ち、と舌打ちをしてポケットからハンカチを取り出して渡す。
さすがリヴァイ、女子力高いねえ、とハンジが笑いながら言って、顔と服にかかった水を軽く拭き取る。

「大丈夫か」
「うんあんまり服にはかかってない」
「気をつけろよてめえ」
「ごめんごめん」

そして口元を押さえる。と、ハンジが途端に不思議そうな顔をした。

「あれ、リヴァイ洗剤変えた?」
「は?」
「なんかすごく良い香りがする。フローラルって感じ」
「……ああ、」
「無臭が好きって言ってなかったっけ?」

ありがとう、と返されたハンカチを片手で受け取る。同僚は不思議そうにリヴァイを覗き込んでくる。
一瞬説明するのを躊躇うが、ここで変に誤摩化しても、余計に面倒臭くなるだけだ。
正直に、端的に、事実を話す。

「隣の奴が引っ越しの挨拶で持ってきたんだよ」
「ふうん、」
「それだけだ」
「でも珍しいね、リヴァイって洗剤とかこだわりある方じゃなかったっけ」
「……たまたま切らしてたんだよ」
「えー怪しー」
「どこがだよ」
「それなら絶対買いに行くでしょ。さては、隣の子が可愛い女の子だったとか?気を惹くために?リヴァイも隅に置けないなー」
「あほなこと言ってんな。ちげぇよ」

そうこうしている内に、ハンジの分のランチが運ばれてくる。
唐揚げを箸で掴みながら、ねえねえ何でー?とにやにやしながら訊くこいつは、単純に話のネタとして面白がっているだけだ。
リヴァイが本気で嫌がればきちんと引くし、真面目に相談しようとすれば真剣に考えて答えてくれる。
これまでの付き合いで知っている。――前世からの付き合いで、知っている。

だから、ふと話したくなったのだろう。記憶を、誰かと共有したいときもある。

「エレンだよ」
「は?」
「隣に越してきた奴」
「……へ」

さらりと伝えられたその事実に、ハンジは一瞬ぽかんと口を開ける。と、次の瞬間勢い良く机から身を乗り出した。
がしゃり、と机に置かれた皿が鳴る。

「てめ、また零すぞ」
「え、え、いつから?」
「……最近。4月初め」
「記憶は、」
「これっぽっちもねえ。『はじめまして』だとよ」
「そっかー……」

そう言って、ハンジはすとんと腰を下ろし、椅子の背もたれにずるりともたれる。そっか、ともう一度呟く。
まあ、覚えていない方がいいよねー、ちょっと寂しいけど。
天井を見ながら呟かれたその言葉には答えなかった。リヴァイは黙々と唐揚げを食べる。肉汁がじゅう、と口の中に広がる。
平和だな、と。脈絡もなく思う。

「ふふ」

いきなりハンジが笑い声をもらすので、眉根を寄せた。

「なんだよ気持ちわりい」
「いや、そりゃ洗剤使いたくもなるよね、と思ってさ」
「はあ?」
「可愛がってた部下が持ってきた洗剤だもんね。そりゃ使いたくなるわ」
「っなに、」

言ってんだ、とリヴァイが反論しようとすると、だって本当じゃーん、とひらひらと手を振ってあしらわれる。
あー久しぶりに幸先の良い話聞いたー、と唐揚げを頬張るハンジに言葉を返すのも面倒くさくて、リヴァイは黙って水を流しこんだ。

「てかエレン今何してんの」
「大学生だとよ。N大」
「あー。1年生?」
「ああ。楽しめと言ってやった」
「あ、もう結構仲良しな感じ?」
「いや、今朝たまたま車で送ってやった。寝坊したみてぇで慌ててたから。でもそれだけだ」

その言葉にふふ、とハンジが笑う。

「もっと仲良くなったらいいじゃない、せっかく会ったんだし」
「……別に、わざわざ関わらなくてもいいだろ。記憶もねえし」
「でもさー」
「いいんだよ、あいつ元気そうだったし。親もいるみてえだし、それで」
「でもさ」
「なんだよ」


「でも、私たちも幸せになってもいいんじゃない?」


それに、もうリヴァイから関わってるじゃん、それ。
そう言ってにこりと笑う同僚に返す言葉もなく、リヴァイは息を吐き出す。目線を逸らす。
そうだ。今日、目の前でエレンが走り去るのを見過ごすこともできた。ただの隣人が、隣の学生が遅刻しそうだからって、車を出す必要なんてこれっぽっちもない。
でも、そうしなかったのは。

ふふふ、と嬉しそうにハンジは笑う。

「今度リヴァイん家に遊びにいこっかなー」
「はあ?」
「エレンを一目見たいしさ」
「やめろ、お前が来ると家が汚くなる」
「えーひどいなー。とりあえず飲みに行こうよ、飲みに。今夜でも良いよ?」
「……今日は車だから無理だ。明日にしろ」

他愛無い会話をしながらこの先の予定を立てる。それだけで十分だ、と時々思う。
良かったね、とハンジが笑って、何ともいえず、リヴァイはただ黙って頷いた。



あなたまでループ〜はじまり03