そのとき、どうしてドアを開けようと思ったのか、今でも分からない。
日曜の午後2時過ぎ、リヴァイは洗面台の掃除をしているところだった。
4月に入って、宗教やら新聞やらの勧誘がまた増えてきた頃だ。
予定の無い訪問者には一貫して居留守を使っていたし、その日届く予定の荷物も無かった。
だから、普段だったら絶対対応しない相手だったのだ。

ただ、その日だけ。インターホンまで行くよりドアを開けた方が早い、その距離で。
ピンポーン、と一回ベルが鳴ったそのとき。
何の疑問も持たずに玄関のドアを開けたことを、今でも不思議に思う。


「あっ、こんにちは、はじめまして」

一瞬何が起こったか分からなかった。
玄関先に立つその青年は、「引っ越しの挨拶に伺いました、イェーガーです」と言って、少し緊張気味にリヴァイを真っ直ぐに見つめた。

瞬きを、2回。外で遊ぶ子供たちのはしゃぎ声とか、駐車場の車のエンジン音とか。そんなのが耳を通り過ぎて、それでも声を出せず、
ただリヴァイは目の前の青年の顔を凝視していた。自分でも気づかない内に。
さぞ間抜けに見えただろうと思う。

「あの……?」

ドアを開けたきり、自分の顔を見つめたまま何も言葉を発しない隣人を不振に思ったのか、イェーガーと名乗った青年は困惑したような顔でリヴァイの顔を覗きこんでくる。
そこでやっと我に返った。
とっさに目線を逸らす。口元に手をあてる。

「あ、いや、すまん……何でもない」
「いえ、こちらもいきなり……すみません」
「302号室か」
「あ、はい。そうです」

マジかよ、と。最初に思ったのはそれだった。
今ここでか。お前がくるか。元気か。元気でやってるか。今までどう過ごしてきた。
思考が戻った途端、いろんな言葉が頭の中に湧いてくる。
聞きたいことはたくさんあった。言いたいこともたくさんあった。
でも、ちらりと見た彼の瞳は、本当に不思議そうな色をしていて――それが無駄だとはっきり分かる。
何ともいえない気持ちに、また目を逸らす。

数秒の沈黙。ええと、と気をとりなおすように青年が口を開く。

「もしかしたら迷惑かけることもあるかもしれませんが……よろしくお願いします」
「ああ、」
「これ、良ければ使ってください」

そう言って青年は「御挨拶』という熨斗がかかった箱を差し出す。
リヴァイが受け取るとそれはずしりと重く、洗剤か何かだろうなとあたりをつけた。
律儀だな、と思う。親にでもうるさく言われたんだろう、と思って、親はいるのか、とまた不安になる。

「……ご丁寧に、どうも」

でも初対面でそんなことを聞けるはずもなく、リヴァイは少しつっけんどんに礼を言うことしかできない。
視線を合わせられず、ずっと彼の手元あたりを見たままだ。

それでも青年は少しほっとした様子で、いえ、と答えた。

「休日の昼間にお邪魔しました。では失礼します」

そう言って頭を下げて去った彼に、結局「ああ、」という言葉しか返せなかった。


ドアを閉める。受け取った挨拶品の重みを腕に感じながら、しばし立ち尽くす。
覚えてないだろうな、ありゃ覚えてない。一点の曇りもない目で、「はじめまして」と言ったのだ。
残念ではない。あんな記憶を覚えていなくて、むしろ良かったんだろうと思う。

それでもこの胸の奥がじくりとするのは。きっと、少しの寂しさだ。認めたくはないけれど。
目を閉じる。さっき会ったばかりの、彼の顔を思い出す。
――元気そうで良かった。ただただ、それだけを強く思った。



あなたまでループ〜はじまり01