「亘」

呼ばれたので顔を上げると、美鶴がとても面白く無さそうな顔で、ほおづえをつ いてこっちを見ていた。

「なに?」
「……何でもない」

そう言うと美鶴は目をそらしてテレビを点ける。けれど興味をひくものがなかっ たらしく、一通りチャンネルを回したあと、あっけなく切った。どうしたんだろ う、とは一応思ったけれど、亘はほとんど気にせず手元のテキストに意識を戻し た。明日提出の数学の課題は、まだ半分しか終っていない。

「亘」
「んー?」
「亘」
「……なにさ」
「ワタルー」
「もーなに、さっきから」

いい加減うっとうしくなって非難をこめた声で応じると、美鶴はまた、

「……何でもない」

と言って机につっぷすのだった。
亘はため息をついて机に置いてあったサイダーを飲む。ちょうだい、と声が聞こ えたのでそのグラスを美鶴に渡す。美鶴は体を起こすと、緩慢な動作でグラスを 口に運んだ。その白い喉が動く様子を、亘はなんとなしに見つめる。

「暇なら教えてよ、数学」
「自分でやんなきゃ意味ないだろ」
「じゃあ静かにしてて下さい」
「……あほワタル」

ムッとした亘が応じる前に、美鶴はぷいと立ち上がってベッドに沈んで背中を向 けてしまった。僕のベッドなんだけどなあ、まあいいけどさ、なんて考えながら 、亘はその背中に声をかける。

「美鶴」
「……」
「ミーツールー」

さっきと立場が反対だ。苦笑しながら、亘は立ち上がってベッドに近付く。あら わになっている白いうなじをつ、と指でなぞると美鶴の肩がぴくりと揺れた。

「美鶴」
「……」
「みつる」

耳元でささやく。くすぐったそうに身をよじるのをおさえて、その耳元にキスを した。みつる、ともう一度呼ぶと、彼は少し眉を寄せて、なに、と小さく呟く。 笑いだしそうになるのを抑えて亘は訊いた。

「さみしかったの?」
「……」
「ねえ、美鶴」
「……べつに」

色素が薄い美鶴の頬は、赤くなるとすぐ分かる。今度こそ亘は声を上げて笑って しまった。
ムッとして何か言い返そうとするその唇を、自分のそれでふさぐ。
サイダーの味がまだ残っていた。

「……あほ」
「ふふ、ごめんね」
「ほんとだよ」

目許に頬に鼻先に、美鶴の顔中にキスを降らせる。指と指を絡める。ああ数学終 らないなあ、なんて考えながら、もう一度深いキスをした。優先順位は明らかだ 。